東京グール:re16巻の感想・考察。ついに最終巻【ネタバレあり】

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東京グール_re16巻感想と考察

7月19日に東京グール:re16巻(最終巻)が発売されました!

この記事では、この東京グール:re16巻の感想と考察を書いていきたいと思います。

※ネタバレ要素が多分に含まれますので、読んでいない方は先に本編を読みましょう!







1.Vはグールになりたかった?

竜の卵管を調査する時にVがそれを食い止めようとCCGを襲撃していました。

その際、Vは一度やられたのに復活しその様子を見て『』をVが受け入れていることを平子が指摘しています。

ここで疑問に思うのがV(和修家)は人間になりたかったんじゃないの??ということです。人間になりたいからこそグールと人間の交配を進め、人間の血が多いほど優遇される、それがV(和修家)であるはずです。

なのにVはグールになる毒をあえて恵みと称して受け入れています。グールになれば短命も防ぐことができると。

ここで矛盾が生じてきてしまいますが、私はこの矛盾こそが和修家の実態なのではと思います。

和修という家全体としてはあくまで人間の血を多くすることを目的としている。グールとして蔑まれてきた歴史から脱するため人間になる。当初としてはこれが和修家の目的だったのだと思います。

しかし、その実態は人間との交配による短命という実情。家としては人間になりたいというものの実態はその家の者はすぐに死んでしまう。それに本当は家の構成員も抗いたかったのではないかと思うのです。だからこそ、Vは反和修である旧多の思想に付き添いグール化を目指す、という流れなのではないでしょうか。

そう考えるとこの矛盾にも意味が通る気がしてきます。

2.ドナート対亜門

フクロウを操っていたドナートですが、ヒナミ達の活躍によりその居場所を割られ、亜門と対戦することとなります。

そこで、亜門は憎き相手のはずが手加減をし、さらに倒した時にも涙を流しています。

気づいたことは、世界を歪めていたのは自分でもあったということ。

グールが人襲い、その家族が辛い目に合う。そんな状況を見続けた亜門はグールこそ世界を歪めている張本人であり、世界が間違っているのはグールのせいだと思い続けていました。

しかし、亜門は表面上は忌み嫌っているものの本心ではドナートのことを嫌いになることはできませんでした。たとえ孤児たちを隠れて殺していても、悪行の限りを尽くしても、自分のことを愛を持って育ててくれたドナートは自分の父親であることに変わりはなかったのです。

グールという種族が、グールという存在が世界で独立した悪の要素であり、人間とは相いれないものである、グールこそが世界を歪めている、そう思い続けていた亜門ですが、亜門自身の本心ではそのグールと人間という区切りを信じ込むことができなかったのです。

人間ではなくグールであっても人間の父親になることができる、それを身を持って実感していた亜門の認識こそが世界を歪めている一要素であったのかもしれない。

グールであるとか人間であるとかその区切り事態に大きな意味が本当にあるのだろうか。そう疑問に思わせてくれる戦いでした。

そして、亜門に父親であると言われたドナートは涙を流し笑いながら息を引き取っています。

ドナートも人間の父親であるということをうれしく思っていたことが推察されます。グールであっても人間であってもドナートは亜門の父親で他ならなかった、そのようないびつでありながらも確かにそこに愛があったなんともいえない家族関係が描かれています。

3.四方対ウタ

ここまで意図の見えない形で様々な襲撃に参戦してきたウタですが、四方さんとの戦いの中で本心を語っています。

世界は『ヒト』を愛している。グールはつまはじきもの。その空虚感を紛らわすためにピエロとして狂気を演じてきたのだと。

ここでも、グールであるという種族の壁に打ち砕かれたものの苦悩が描かれています。

ウタの行動の源泉は寂しさから。その寂しさを埋めるためにピエロとして暗躍し、四方さんにも戦いを挑んでいます。その寂しさを埋めるために人、他者を困らせる、これはまさに『子供』のすることです。

まるで子供が駄々をこねるように暴れまわっていたウタですが、四方さんに俺『』はとっくに大人だと諭されています。

そして、ウタは世界は変わっていくのに自分は変われなかったと嘆いています。その変化こそが大人になるということなのではないでしょうか。

ここでもグールであるとか人間であるとか種族の違いは関係ないのです。いろんなものを失い、狂気に狂いそうになってもわずかでも希望を見つけもがきながら生きていくそれが大人になるということであり、これはグールでも人間でも同様です。

それに気づけたからこそ、二人はまた元の関係に戻れたのではないかと思います。

ここでも、グールと人間の違いはそんなにないのでは?ということが描かれている気がします。

4.ナキが生きてたああ!

古間と入見がクインケとして使われ胸くそ悪い展開が続いていましたが、ここでなんとナキの登場です。

13巻で明らかに死んだっぽい描写がされていたのでもうあのあほな姿が見れないのかあと思っていたらまさかの復活。ちくしょう、だまされたぜ…。

でも、これでミザと結ばれることができるし万事オッケーです!巻の最後の方では子供も産んでたし、ハッピーエンドでしょ。

最終巻であってもあんまりいいこと起こってなくて少し悲しい巻ですがナキが生きてたことは素直にうれしいです。ミザと幸せになっておくれ!

5.この世界は間違っていない

カネキは旧多を追い詰め旧多から生きてすることなどすべて無駄になると語られたとき、『この世界は間違っていない。ただそこにあるだけだ。』と述べています。

これこそが、この言葉こそがこの漫画の集大成なのではないかと思います。

グールなのに父親であったドナート、グールであることから生じる空虚感によって子供を演じてきたウタ。

これらの人々にグールとか人間とかそんな種族の違いなど本来どうでもよいのではないか。

もちろん種族として明確に違いがあり、グールは人間を食べなくてはいけない、その違いは存在します。

でも、そこにグールであるから悪であるとか人間であるから善であるとかは存在しないのです。

ただそこに種族としての違いがあるだけ。それをどう解釈するかはその各人に委ねられるのです。それを歪みととっていたのが亜門です。

しかし、人間もグールもどちらも経験した亜門が世界を歪めていた存在に自分を含めています。やはり世界を間違っているものたらしめるものは各人に由来するのです。これらを包含してカネキはただそこにあるだけと表現したのではないでしょうか。

6.旧多の目的

旧多は生きていくうえですることはすべて無駄になると述べています。

半人間である旧多の寿命は短く、生きていける時間は人間に比べればごくわずかです。生きていくことも死んでいくことも遊ぶことも死んでしまえば、はいおしまい。そんな人生を悲観し、その原因となった和修、そして、CCGをつぶしてしまう。それが本来の旧多の目的であったことが語られています。

これこそ人間とグールという種族の対立に挑む和修という環境にいたからこそ生まれた思考だと思います。グールを駆逐するCCG、グールでありながら人間を目指す和修。その対立に深く関与した旧多だからこそその垣根を壊しめちゃくちゃにしてしまう。これもグールと人間という種族の違いが生んだことだと解釈できそうな感じはします。

カネキと旧多の違いは無駄を受け入れるているかどうかです。

グールとしてしたこと、人間としてしたこと、CCGとしてしたこと、すべて生きていく上で行ってきたことは無駄である。だからこそ、すべてをひっくり返して台無しにしてやろうと発想が生じてきてしまいます。それを行ったとしてもその行為を含めて無駄のことですから。

しかし、カネキは反対にその無駄こそが自分を形作っているものだと考え、無駄な行為は必要なことであったという思想を持っています。

カネキはこの物語の中で何度も敗れ、耐えがたい苦痛を何度も味わっています。でも、そのことを無駄に思うなんてできない。それはグールであるとか人間であるとかに関わらず、世界がそこにあったからそこ自分に降りかかったきた事実の羅列であり、台無しにもできなければそれに依存することもできない。

本来グールも人間もその点は変わらない。いや、同じ人間、同じグールだったとしてもその人生には様々な選択肢があり、各人がそれに苦悩し、抗い、選択してきた事実が並べられそれこそが生きてきたあかしとなるのです。

それは全て共通して悲劇となります。愛する人も場所もいずれはなくなる、忘れられる、その事実は揺るぎません。それでもまた選択し続けるそれが人間とグールを含めた『ヒト』の人生であるのではないか。

この対立はやはり旧多が和修という家に生まれたからこそ生じてきた対立なのだと思います。

普通の人間として生まれ、普通に生活をしてきたのであれば旧多もこんなすべてを台無しにしようだなんて発想は生まれてこなかったはずです。だからこそ、普通に生きてみたかったと最後に述べています。こうしてみると旧多も種族の差に苦悩を味あわされた被害者なのかなあなんて思ったりもします。

7.人口食物の登場

物語の最後でグールでも食べられる人口食物が開発されたことが記されていました。

これがあればグールも人間を食べることもなく生きて行けるので今後グールと人間との共存がさらに進んでいくことが推察されます。

人間がグールを憎むのは食べられてしまうからなので、それを取り除くことができるこの人口食物の発明は相当画期的な発明なんだろうと思います(書き方はやけにさらっとしていましたが)。

でも、倉元がCCGの関西支局に移動させられているのを見ると東京以外ではまだグールが暴れている感じは残っていますが…。というかあくまでこの物語は『東京』グールであって、他県にも、そして、外国にもまだグールは残っているんですよね…。それらの地域もこの人口食物の登場で緩和されていくのでしょうか。そのあたりももう少し深堀してほしかった気もします。

8.不知はやっぱり死んでた…

前巻の考察で不知が生きていたらいいなあとか書いていましたが、ここで明確に死亡したことが記されてしまいました。

六月とも仲直りしたし、シャトーの人たちは今後は平和に暮らしていけるのでしょうが、やっぱり不知がいてほしかったなあ…。妹が治ってよかったけどそれだけがちょっと悲しいです。

でも、篠原さんは治って本当に良かった…。これで鈴屋も報われるなあ。篠原さんもおじいちゃんみたいになってしまってますが、ちゃんと働けたのであろうか。TSCを影ながら支えていたというような描写となっていましたが、仕事は何をしているんだろう。CCGから特別恩給みたいのが出ててそれで生活しているんだろうか。

まとめ

以上、東京グール:re16巻の感想と考察を書いてきました。

遂に終わってしまった…。確かにこれまでの展開でもう終わるような気もしていましたが、本当に終わってしまうとなると悲しいです。

でも、いろいろと謎が残ったままになっている気が…。竜とは何なのか、リゼとは何だったのか、Vとはとかなんかあいまいなままで終わってしまいましたがもう少し明らかにしてほしかったなというのが正直なところです。

また、予想ではグールが人間になる方策が見つかってハッピーエンド!って感じになると思っていたんですが、そうもいかずグールはグールのまま存在し続けるみたいです。まあ人口食物が発明されてかなり種族の違いが弱まっていくとは思いますが、なんか少し釈然としない部分があります。先ほど触れたように他県や外国では同様にはいかない部分もあるでしょうし。

かといって続編が見たい!という風にもならないですね。やっぱりこんな感じでふわって終わっていた方がいろんな妄想ができていいような気もしてきました。

最後に石田先生のあとが気も読みましたが、やっぱり週刊連載って大変なんだろうなあという思い、むしろ心配の気持ちがこみ上げてきました。石田先生の作風、絵柄は他の漫画家から突出した才能があると思うので、ゆっくり休んでもらってまた新作を期待したいところです。

これで東京グールの感想と考察も終了となります。

ここまで読んでいただきありがとうございました。また違う漫画の考察でお会いできたら幸いです。

グールは人間を捕食する生き物です。そこで、気になるのがグールは何人いるのかということです。グールがたくさんいれば人間が捕食によって激減してしまうかも?この記事では、何人のグールがいれば東京を滅ぼせるかを考察しています。
東京グールにおいてグールの食事は物語の中核をなします。当初のカネキは角砂糖や共食いによって空腹を紛らわしていましたが、琲世以降はどうしていたのか、それを考察しています。

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